美鳥の日々最終話追記

アニメと原作がほぼ同じ最終回だったことに関しては賛否あるみたいですが
実のところ結構違うよなーという感じが。
まあ肝の告白シーンが台詞回しまでかなりホモロジャーなので実際以上に同じ感があるんですが。


改めて振り返ってみるとアニメが紛れもなく「美鳥の日々」だったのに対し
原作はもちろんメインは「美鳥の日々」であることに異論はないんですけど、それと同時に「セイジの日々」でもあったと思うわけで。
アニメが完全に美鳥の成長に絞ってきたことに対し、原作ではセイジ君の成長もかなり大きく扱われていたような。
しかも美鳥の成長が一歩を踏み出す強さを持つこととして描かれていたのに対し、セイジ君側はむしろ弱さの獲得をもって成長としていた気が。
弱さという言葉が駄目なら人間味とかそんな感じでも可。
要はアニメのセイジ君が完璧超人だった気がするのですよ。
そして逆に一見したところ原作のセイジ君はいろいろへちょくなってるんだよなぁ。
特に顕著なのが6巻ラストの「たとえ間違っていたとしても美鳥を失いたくない」発言とか、別れの際に記憶について触れたこととか。
もうなりふり構っていられない状態。
だからといって弱さに完全に流されるわけではなく、最終話では自分から美鳥の所に行こうとして思いとどまれる強さもちゃんと持ってるわけで。
そこが凄く愛しいと。
原作ではセイジ君株が急上昇ですよ。


この辺考えると、アニメと原作で別れのシーンを変えてきたのはいわば必然なんだよなぁと。
美鳥が1人で決意してセイジ君には何も告げずに本体に戻ったアニメと、最後にきちんと決意を告げて戻っていった原作。
どちらが良いという問題ではなくて、それぞれがそれまでの流れからしてそうあるべきだったんだと思ったり。
原作セイジ君は美鳥の決意を聞いていなければ、それこそ自分から美鳥の元へと向かってしまうわけで。
それだとメインテーマの美鳥の成長が霞んでしまうと。
一方でアニメのセイジ君が別れの前に美鳥の決意を聞かされても、それこそ「待ってるからな」系の台詞が出るんではなかろうか。
そこで送り出されてしまうと、やっぱり美鳥の成長が霞んでしまうと。
だからこそ何も言わずに帰るしかなかったし、それで良かったんだと。


そして最後の告白シーン、セイジ君側が「好き」という言葉を使えたのは成長した原作のセイジ君であるからこそなんだよなぁとか。
美鳥の日々として純化させたアニメと、2人の成長を描いた原作、なんとも美しい構造ではないかと。
いやはやいやはや、ホントに美鳥の日々に関わった全ての人にグッジョブ&ありがとうモード全開なのですよー。